高嶺の花を羨むより足元の豆を拾え
たかねのはなをうらやむよりあしもとのまめをひろえ
トントントン。
ややゆっくりとした音。
これは考え事をしている時の副長のクセだ。
ペンの先とかで机を叩いてたり、自分の額をつついてたりする。
一応そーっと視線を泳がせて大丈夫だと確認して作業に戻る。
暫くするとふーっと溜息が聞こえてギシ、と椅子の背もたれに縋る音がした。
「副長、休憩されますか?」
今度はちゃんと顔を上げて副長の様子を見上げる。
副長は通常のデスク、自分は持ち込んだ折りたたみの机なので目線違う。
外へと視線を泳がせていた副長がこちらを見てややキツメの視線で答える。
これはいらん世話を焼くなだ。
「はーい、でも程々にして下さいねー」
自分もコキコキと肩をまわして再び書類の山に手を伸ばす。
するとブブブブと携帯が低い音で鳴りだした。今日はずっとマナーモードになっている。
副長が着信の相手を見て、俺に放り投げた。
「はい、土方の携帯ですー」
「おお、山崎か。どうだ、トシの具合は」
「局長、お疲れ様です。今の所変わりはないですよー」
「そうか、宜しく頼むな」
「了解ですー」
局長の声が大きいので多分内容は副長にダダ漏れだ。簡単なやりとりだけで電話を切る。
現在とある事情で副長が喋れないお陰で局長がひっぱりだこだ。
そう、副長は今声が出ない。
他は特に異常はなんだけど経緯も経緯だし、結局書類作業に落ち着いた。
とかいいつつ、実は最初は問題ないからと通常の見回りとかに行ってたんだけど、喋れない
副長とコミニケーションをうまく取れる人が少ないのでいざという時にフォローが出来ない
って事になったのだ。
本人はいちいち筆談できるかって早々にキレたし。
隊長クラスの人達は副長と付き合い長い人が多いから仕草とかでわかるみたいだけど、
まさか幹部が四六時中貼りつけている訳にもいかず、結局なんとなーくわかる程度の俺が
こうして溜まり上げた書類の整理を手伝わされつつ世話をさせてもらってる。
平隊士の面々からするとやっぱり副長は怖い人みたいで、何だかやたら同情されたり
逆に贔屓されてると白い目で見られたりした。理不尽だ。
これでも一応監察って仕事してるからだって言えば皆それなりに納得してはしてくれる
んだけど。
元々監察は副長管轄だからそれなりに接点も多いし、他の隊士に比べれば多少親しく
されているっちゃいるんだけどだだのパシリのような気もしないでもない。
ガスッと視線が刺さった。
「すみません、仕事します…」
考えごとをしていたのがバレたらしい。いや、視線投げるだけで痛いってどんだけ凶暴
なんだこの人。
更にチクチクチクと刺さる。考えが読まれてたのかな。
すると諦めたような溜息とともに、伝言用メモに何やらサラサラと書き出されたので覗き
に行く。
『お前もう帰れ』
「えー!確かに今集中力切れてましたけど、えー!」
「凄ぇな山崎。そんだけ意思の疎通できてたら立派な土方さんの嫁さんになれるぜィ」
呑気な声で嫌なセリフが聞こえてきた。
「なりませんよ!」
だいたい自分が1番の理解者のくせにって心の中でこっそり舌を出す。
当然局長だってわかると思うけど、あの人はああだし、結局のところわかりあってるのは
沖田さんなんじゃないかと思う。日頃はあんなに喧嘩ばかりしてるのに。
あの時も。
怪しい色の煙幕に躊躇なく走り出そうとした沖田さんの首根っこを咄嗟にガッとつかんで
(多分思いっきり)放り出し、一番隊に待機を命じといて自分がまっ先に突っ込んでいっ
ちゃった副長の後姿を俺は唖然と見ているしかなかった。
放りだされた沖田さんがキレイに受身を取って再び走りだしたけど、その差は大きかった
らしく結局喉をやられたのは副長だけだった。
煙幕に何か仕込まれていたらしい。
まあ喉だけで済んで良かったけど。
とはいえ当の本人は目の洗浄とか検査とかで一応病院送りにされて不満たらたらだった。
まあそんな事情もあったから、外回りの最中にしゃべれないのに具合とか悪くなったら
どうするんだって局長に言われて副長も渋々ココに居るって感じ。
沖田さんも一応少し煙を吸ってるので心配性な局長にお願いされてここに留め置き。
『お前は喉大丈夫なんだろうな』
副長がさっきのメモに書いてみせるけど沖田さんは涼しい顔して無視をした。
わかりやすく副長の怒りゲージが上がったけど沖田さんは放置だ。
更にメモに書き込もうとしたところで呆れたような声がかかった。
「さっきから普通にしゃべってるのか聞こえねェんですかィ。もしかして耳もやられちまった
んじゃねーですか。ああ、もう歳だから聞こえねーのか可愛そうに」
ミシ、とボールペンが軋んだような音が聞こえたけどきっと気のせいだ。
とりあえず副長の怒りゲージMAXになるこっそり脱出しようとか考えていたら沖田さんが
ニヤリと笑った。
「そろそろメシの支度が出来てるらしいから、山崎先に行ってきていいぜ。どうせこの人は
まだ固形物食べられないし」
壁にかかった時計を見ると既にお昼前になっていた。
副長の方を見ると行ってこいとばかりに手をヒラヒラさせていた。
「じゃあお先にいってきますー」
朝からずっと紙とにらめっこで正直さすがに疲れてたから助かったけど。
「なー山崎、ついでに俺の書類もちゃっちゃとやってくんねーかなー」
「やりませんよ!というよりさっさと出してください!!」
も〜1番隊と8番隊は書類溜めすぎなんですよって背後からかけられた声に思わず愚痴り
つつ食堂へ向かった。
沖田さんもよくわからない。
最近の沖田さんはわりと真面目に働いている。
局長に『頼りにしてるぞ。トシの分も頑張ってくれ』って言われたのが良かったのかもしれ
ないとは思うけど。
何となくさっきのは副長に気を使ったんじゃないかなーと思う。
理由はまだわからない。
…悔しいなぁと思う。
俺なんかどっちかと言えば新参者の部類で、やっぱり武州組とかに比べると全然わかっ
ちゃいないとは頭では理解してはいるんだけど。
日頃が接点多くてちょっとわかってたつもりだったから、思い上がりが恥ずかしくてちょっと
落ち込みそうになった。
もそもそとまだ人もまばらな食堂で昼飯を食べる。
しょんぼりとした気分のまませめて仕事はちゃんとやっとこうと思いなおす。
一度自分の部屋に戻って確認事項とかチェックしないとなーと、のそのそ歩いてると向こう
から永倉さんが元気よく手を振ってこっちに歩いてきた。
「よ、山崎。お疲れさん。これ土産のあんぱん」
「なんであんぱんなんですか…」
「ある意味張り込みみたいなもんじゃん、今のお前の仕事。ま、頑張れよー」
気楽そうに肩を叩かれてちょっと恨めしそうに見てしまった。
すると軽そうな表情の割に目の奥が真剣だったので少し驚いた。
「土方さん、頼むな」
すれ違い様に小さく言われて思わず振り返ったけど、その背中は既に何事もなかったように
去ってゆく後姿だった。
手元でかさかさと、渡されたアンパンが入っているビニールが音をたてた。
のぞきこんで見てみるとビニールの中には更に袋があって、それにはこの辺りでは美味しい
って評判のパン屋の名前が見えた。
…これは、信用されてるって事でいいんだろうか。
ガラっと自分の部屋の襖を開けると今度は机の上に朝にはなかった袋が置いてあった。
しかもみっつ。
中をみると一つは俺がいつも買うあんぱん。
次は何だか聞いたことないような店名の、でも手作りっぽいあんぱん。
最後になんかどっかのデパ地下で聞いたような名前の店の…やっぱりあんぱん。
…いやいやいや、だからなんであんぱんばっかりなんだ。
折角高級店いったんならオススメ買ってきて下さいよ!と思わず心で号泣した。
ありがたく食べるけど!!!
ハッ…もしかしてコレは猛獣のお世話宜しくって事か?そういう事なのか?
更に夕方、屯所に帰ってきた局長とそのお供をしていた井上さんが俺に向かって全く悪気の
カケラもなくにこやかーに笑いながら
「山崎お疲れさん。アンパン好きなんだってな、買ってきてやったぞ」
と言われて大量なあんパン渡された時はいつかの記憶がぶり返して危うく局長の顔に向かっ
てあんぱん投げつけるところだった。
やめて、これ以上トラウマにしないで。
ちょっと涙目で受け取っていると沖田さんが柱の陰でものすっっっごい笑顔で俺を見てた。
あんたの仕業かーーーーーーーーーー!!
神様お願いします、早く副長の声を返してあげて下さい。
そう願いつつ、副長さんの怒号聞けなくて寂しいって思ってる辺り俺も末期かもしれないと
今更気付いた。